『国富消尽―対米隷従の果てに』は、まさに全日本人が読むべき名著だ(2008年4月の記事)
- Keiro Hattori
- 4月7日
- 読了時間: 3分
吉川元忠と関岡英之の対談集『国富消尽―対米隷従の果てに』(PHP研究所)を読む。混迷した現代日本で生きていかなくてはならない我々が、読むべき名著である。そこには、今まで私がおかしいな、と感じていた事象について、その背景をしっかりとした事実を元に相当、論理的に説明してくれる。グローバリゼーションがアメリカナイゼーション、もしくは日本のアングロ・サクソン化であることは、以前から理解していたが、なぜ日本人がこうも英語を一生懸命にやるようになってしまったのか、とか国際会計制度の導入をなぜするのか、とかなぜアメリカの司法制度のような蛮族的で未開なものを我が国は導入しようとしているのか、など昔からの疑問が相当氷塊した。特に日本の英語教育に関しては、以前から強い違和感を覚えていたのだが、それに関しては、著者は非常に鋭い指摘をしており、共感を覚えた。少し引用させてもらう。
「英語がうまい、というのは植民地的状況ともいえるわけです」
「言語というのは民族のアイデンティティに関わる問題だと思います。ですから語学教育も含めて、教育というのは実に恐ろしいものだと思います。ところが群馬県の構造改革特区では、学習指導要領に縛られずに国語と社会以外のすべての科目の授業を英語で行う小中高一貫の私立高校が開校したそうですね。いくら国語と社会は日本語で授業するといっても、小学生のときから英語三昧の雰囲気の中で育って、記紀万葉の日本語の素晴らしさや、日本の伝統文化に誇りを持てるような人格が形成されるのでしょうか」
英会話学校に非常に高いお金を払って通っている人達は、まさに優れた植民地人となるように、わざわざ投資をしているようなものだ。英語学校ならまだしも、英会話学校に金を払う馬鹿らしさ、を前から私は憂慮していたが、この私の考えは間違っていないことを、この対談集を読んで認識した。
この本を読んで、初めて気付かされたことはバブルがほぼアメリカ主導でつくられ、そして崩壊させられたということである。アメリカがそんなにも賢かったのか、ということと、日本はなぜそのアメリカに追従する金融政策を行ったのか。しかも、なぜ今でもアメリカを利するような様々な金融政策を続けているのか。財務省を始めとした行動パターンはまったくもって理性的ではなく、それはもう蛇に睨まれた蛙のようなものだ。しかし、蛙と違うことは、その蛙が食べられるのではなく、我々国民が犠牲になるということである。これは、国家経済に対して無関心な人であっても、自分の財布、将来の生活に関わるような重要な知見が充満している本であるので、是非とも日本人であれば読むべきものであると思う。我々は知らないうちに、暗闇の中を深い谷にかかる今にも落ちそうな吊り橋を歩いていたのである。
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